
1970年代に一世を風靡したバラエティアイドル「ずうとるび」。
長年の沈黙を破り再結成を果たした彼らの今に注目が集まっています。
当時のメンバーたちは今、どんな道を歩んでいるのでしょうか?
再結成までの裏側や、過去の脱退理由についても気になるところです。
この記事では、それぞれのメンバーの現在の活動や、脱退の背景、
再集結のきっかけまでをわかりやすくご紹介していきます。
ずうとるびのメンバーは現在どうしてる?

山田隆夫さん:表も裏もこなすマルチな才能
山田隆夫さんといえば、笑点の座布団運びで有名ですよね。私もあの穏やかで親しみやすい雰囲気に、毎週ホッとさせられています。
でも彼の才能は、それだけじゃないんです。実はテレビ番組の構成や企画など、放送作家としても活躍されています。たとえば、バラエティ番組の進行や笑いの流れを作る裏方の仕事を手がけていて、番組の雰囲気作りに大きく関わっています。
それに加えて、実業家としても活動していて、不動産関連の事業にも取り組んでいるそうです。具体的な内容はあまり明かされていませんが、自分の居場所を一つに絞らず、どんどん新しいことに挑戦する姿はすごく魅力的です。
子どもの頃に子役としてデビューし、ずうとるびで人気を集め、そして今もなお第一線で活躍し続ける。これだけ長く愛されているのは、人柄の良さと努力の積み重ねがあるからだと思います。
江藤博利さん:音楽を届け続ける情熱
江藤博利さんは、ずうとるび時代からの人気メンバーで、今もソロで音楽活動を続けています。ステージに立つ姿は、昔と変わらず輝いていて、私はその情熱に心を打たれました。
最近はライブ活動も積極的に行っていて、同年代のファンだけでなく、若い人たちの姿も会場で見かけるそうです。昔のヒット曲だけでなく、今の時代に合った楽曲も披露していて、常に前を向いている印象があります。
さらに、俳優としてドラマに出演したり、司会やリポーターとしてテレビに出るなど、活動の幅も広いんです。たとえば地域のイベントなどにも顔を出していて、ファンとの距離を大事にしている姿勢が伝わってきます。
芸能界で生き続けるには、努力と誠実さが欠かせません。江藤さんのように、ブレずに自分のスタイルを貫く姿には、本当に学ぶことが多いです。
新井康弘さん:演技で見せる進化
新井康弘さんは、現在も俳優として精力的に活動されています。舞台を中心にドラマや映画にも出演していて、ひとつひとつの役に真剣に向き合っているのが伝わってきます。
たとえば、地方の劇場公演にも参加していて、観客と距離の近い環境でリアルな感情を伝える演技にこだわっています。私が見たインタビューでも、「人の心を動かす演技がしたい」と語っていて、本気度が伝わってきました。
演技の中には、ずうとるび時代に培った表現力やユーモアも感じられます。コメディタッチの作品では軽やかに、シリアスなドラマでは重みのある演技を見せてくれる、その幅の広さが魅力です。
芸能活動って、若い頃のイメージに縛られがちですが、新井さんはその枠を自分で壊してきたタイプだと思います。今の彼は「元アイドル」ではなく「実力派の俳優」として輝いています。
今村良樹さん:人とのつながりを大切にする店づくり
今村良樹さんは、現在バーの経営者として活動しています。自分でプロデュースしたお店は、都内にあって、温かくて気取らない空間だと評判です。
店内はまるでリビングルームのような落ち着いた雰囲気で、常連さんと会話を楽しみながらゆったり過ごせる場所になっています。私の知り合いも訪れたことがあるらしく、「今村さん本人がいて、お酒を作ってくれた」と嬉しそうに話していました。
お店を経営するかたわら、放送作家としても番組制作に関わっているとのことです。情報は少ないですが、クリエイティブな面を大切にしながら、人と人をつなげる場所を作るという彼の姿勢には、温かい思いを感じます。
自分のペースで、でも全力で取り組む。今村さんの生き方は、派手さはなくても、とても人間らしくて魅力的です。
池田善彦さん:静かに続く誇りと絆
池田善彦さんは、ずうとるびの中では最後に加入したメンバーです。今は都内でバーを経営していて、落ち着いた大人向けのお店を展開しています。
お酒のセレクトや空間作りにこだわりがあり、質の高い時間を提供する場所として人気があるそうです。音楽活動からは少し距離を置いているようですが、ファンの方が訪れると気さくに話しかけてくれるとの声もあります。
ずうとるびとしての活動をすごく大切に思っていて、そのことを表に出すわけではないけれど、胸の中で誇りを持ち続けているように感じます。お店の雰囲気にも、その穏やかな人柄が反映されているんじゃないでしょうか。
目立たずとも、自分らしい生き方をしっかりと選んでいる。その姿勢に、私は静かな力強さを感じます。
ずうとるびの誕生と背景

ずうとるびが生まれたのは、1970年代のことです。ちょうどその頃、日本ではアイドル文化が勢いを増していました。歌だけじゃなく、バラエティ番組にも出ることが求められる時代だったんです。
グループ誕生のきっかけは、日本テレビの笑点内で行われていた「ちびっ子大喜利」でした。山田隆夫さんがそこで座布団10枚を獲得して、一気に注目を浴びたんですよね。あの時の笑顔、今でも印象に残っています。
その才能が評価されて、山田さんを中心にずうとるびが結成されました。音楽だけじゃなく、お笑いもこなすスタイルは当時としては新鮮だったと思います。私自身も、テレビで見かけるたびにワクワクしていました。
当時の背景としては、テレビの普及がどんどん進んでいて、若者向けの音楽番組も増えていた頃です。そうした流れの中で、ずうとるびは自然と注目を集めるようになりました。
バラエティアイドルとしての魅力
ずうとるびって、いわゆる「アイドルグループ」とはちょっと違ってたんですよね。歌うだけじゃなく、バラエティ番組にも積極的に出演していて、本当にいろんな表情を見せてくれていました。
たとえば、三波伸介さんが司会をしていた「凸凹大学校」では、メンバー全員がコントに挑戦していて、お茶の間に笑いを届けていました。あの自然な演技、見ていてほっこりしました。
メンバーそれぞれに個性があって、誰かがボケたらすかさずツッコミが入るような、チームワークの良さも印象的でした。私は特に、新井康弘さんのちょっと真面目そうなキャラが好きでした。
また、彼らは歌の中でもユニークな振付や小芝居のような演出を取り入れていて、まさに「見て楽しい」グループでした。バンド形式でメンバー自身が楽器を演奏するスタイルも、他とは違う魅力でしたね。
当時は、たくさんのアイドルが登場していた時代ですが、その中でもずうとるびは「おもしろくて親しみやすい存在」として、しっかりとしたポジションを築いていました。
代表曲と成功の理由
ずうとるびの代表曲といえば、やっぱり「みかん色の恋」ですよね。1975年にリリースされて、あっという間に人気が広がりました。私の家でも、レコードを何度もかけていたのを覚えています。

この曲は、明るくて覚えやすいメロディと、甘酸っぱい歌詞が魅力でした。聴くだけで、当時の空気がよみがえるような気がします。
ほかにも「恋があぶない」や「初恋の絵日記」など、記憶に残る楽曲が多かったです。彼らの音楽はどれも、気取らずに楽しめるものばかりでした。
活動初期には、山田隆夫さんが作詞作曲を担当した「透明人間」という曲も話題になりました。この曲、ちょっと変わったタイトルなんですが、テーマが面白くて、子どもから大人まで幅広く支持されたんです。
それに加えて、テレビやラジオでの明るいキャラクターも彼らの魅力でした。音楽とお笑いをうまく組み合わせた活動スタイルが、多くの人の心をつかんだんだと思います。
解散から復活への道のり

ずうとるびは1970年代に大人気だったグループです。
テレビにもよく出ていて、私も当時よく見ていました。
そんな彼らが1982年3月に活動を終えたと知ったとき、
正直ショックでしたし、理由も気になりました。
当時はアイドルブームが少し落ち着きはじめていて、
音楽の流れもディスコやニューミュージックが主流に。
そんな時代の変化に、彼らのスタイルは合いにくく、
メンバーもそれぞれ別の道を考え始めていたようです。
特に山田隆夫さんがグループを離れたことも大きく、
メンバー間でも自然と区切りが見え始めたのかも。
最盛期を過ぎ、新しいチャレンジを考える中で、
解散という選択が出てきたのだと思います。
そこから約38年が経った2020年、再び彼らは集結。
きっかけは、ファンの声とメンバーのつながりでした。
特に山田さんがテレビで話す機会が増えてきて、
その様子に他のメンバーが心動かされたと聞きました。
私自身も再結成の話を聞いたとき、本当に嬉しくて、
当時を思い出して涙が出そうになりました。
50周年が近づくタイミングだったこともあり、
「もう一度みんなで歌いたい」という思いが強まり、
話し合いを重ねた結果、再びステージに立つことに。
再結成が発表されると、SNSには祝福の声があふれ、
昔のファンからも「待ってたよ」という声が続出。
当時リアルタイムで見ていた方はもちろん、
親の影響で知った若い世代からも注目されました。
メンバーも「応援が励みになった」と話していて、
山田さんは「奇跡の再会」と言葉にしています。
長い時間が経っても、つながっていたその絆に、
胸が熱くなった方も多かったのではないでしょうか。